2023年2月13日 江ノ島
竜巻きのようなうねりの中にいました。
この日、パパラギ江ノ島ツアーの担当インストラクターは百戦錬磨の中塚さん。
自分は休日でやってきて、ツアーチームに帯同する形で海に入ろうと企んでいたのです。
ところが、海況はみるみる悪化しエントリーする頃には大荒れに。
中塚さんはエントリー直前に、ツアー中止の判断を下しました。
そこで、中塚さんがお客様を片瀬江ノ島駅に送迎し、戻ってくる間にこっそりと海の中に忍び込んだのでした。
どうしても今日、海に入っておかなくてはいけない気がしていました。
自分が入社した当初の2013年頃は、湘南といえばカジメの群生が当たり前のように見られ、
海藻なんて掃いて捨てるほど生えている景色でした。
あの頃の江ノ島や真鶴で潜ったときにウミウシやダンゴウオを撮影するのに、
カジメの茎につかまりながらピントを合わせたのを覚えています。
やがて2017年頃を境に海藻はみるみる衰退し、小型海藻はあれどゆさゆさとした大型海藻は一切見られなくなってしました。
湘南から海藻衰退の兆候が見られると、太平洋側の海藻消失エリアは紙についた火のように燃え広がってゆきました。
熱海の小曽我洞窟の海藻が消失した年の驚きをよく覚えています。どういうわけかみんな一斉に跡形も無くなってしまったのです。
今思えば、海の変化を身を持って感じたのは、あれが始めてだったように思います。
当時は海藻衰退の原因のひとつにうねりや台風の強大化が挙がっていました。
本当に海は変わってしまったのか、このまま失われてゆく一方なのか、
この日、今の江ノ島の海をどうしても見ておきたかったのです。

海に入ると50cmほどの大きさの海藻がたくさん生えていました。
名前は分からなかったですが、あの頃のカジメではないことは分かります。
なにしろゆっくりと観察する状況ではなかったのです。
横方向に5mほど揺さぶられ、途中大きな岩や岩壁に引っかかれば骨が軋むような力がかかります。
時折、海の中をひっくり返すようなうねりが走り抜けると、
視界が真っ暗になり自分がどこにいるのか分からないほどの水流に翻弄されることもありました。
数カット撮影して、逃げるように海から上がりました。
わかった事は2つ。この海のうねりはすごい。
もうひとつは、確実に環境が変化しているということ。
この環境が海藻にダメージを与えていると言われればそんな気もします。でもそんなに海藻はやわではないとも思えます。
事実、この荒れ狂う海の水面下には確かに海藻が生えていたではありませんか。
とにかくこの海のデータが足りません。海を理解するにはもっと多くの目が必要でした。

しかしながらこの年、20年以上続いたパパラギ江ノ島ツアーはツアーメニューからの削除が決定していました。
削除の理由は海況が安定せず、開催率が保てないからでした。
本社藤沢のパパラギの地元の海、江ノ島。
この日はパパラギ最後の江ノ島ツアーだったのです。
2023年1月31日 東京駅八重洲地下街
「それでは薮ちゃん、東京で会いましょう」
江ノ島の嵐のような海の中から遡ること2週間。
zoom画面に映る相手に言われるがまま八重洲地下街のタイ料理屋にいました。
この日はPADIソーシャルナイトというイベントがあり、日本中から東京にPADIインストラクターが集まっていました。
zoom画面の相手の、岩手県にある、みちのくダイビングリアス代表の佐藤さんこと愛称くまさんは、三陸に遊びに行ったときにいつもお世話になっている方でした。
職場は地球、というのがこれ以上似合う人を他に知りません。
地元岩手の自然から惑星の不思議を面白がる姿に、
自分も同じ惑星に住んでいる地球人であることにいつもハッとさせられてしまいます。
三陸ボランティアダイバーズの代表もされていて、
東日本大震災直後から海底瓦礫引き上げのボランティア活動など三陸の海洋保全を手がけ、
今では磯焼けした海に海藻を取り戻す活動をされています。
そうした長きに渡る地元での海洋保全活動が世界の目にとまり、日本人で始めてのSEA HEROに選出されました。
この日のイベントは、その授賞式も兼ねていました。

にも関わらず、「途中で抜けて来ちゃった笑」と八重洲地下街に現れたのです。
「くまさん、何で途中でいなくなっちゃうんですか?」と後から現れたのはハイブリッジの高橋さん。
パパラギも女川ツアーでお世話になっています。高橋さんも震災直後から宮城の海を守ってきた方です。
そしてもう1人。くまさんとガイド仲間で江ノ島の海洋保全活動の取りまとめをしている森さんでした。
森さんは今でこそガイド業からは引退したものの、
かつてフィリピンでガイドの仕事をしているときに、あのスマトラ沖地震を海中で経験したそうです。
目の前のお三方はみな海の美しさも恐ろしさも、どちらも良く知り、ずっと向き合ってきた大先輩です。
震災と磯焼けというひとつの時代が目の前にあるように感じました。
約束の時間を守るために、大事なパーティーを中抜けさせてしまった事に焦る薮崎を尻目に、
当のくまさんと森さんはタイ時代のガイドの思い出話に花を咲かせています。
くまさんは自分の名誉や栄光に全く興味を持たず、いつも人のために自分の時間を使う人です。
この日もくまさんは、森さんと薮崎を繋げるためにこの場を設けてくれたのです。
この森さんが本業のかたわらで活動し、協力している団体が江ノ島フィッシャーマンズプロジェクト(EFP)でした。
正直、ここに来るまでは自分さえそのEFPに入り込んで、江ノ島で活動ができるようになれば良いと思っていました。
しかし、話を聞けば聞くほど個人では手に負えない将来が見えてきて、帰ったあとすぐに会社に丸投げするのでした笑
この夜、先輩たちから語られたものは自分にとって真新しいものばかり。
プロダイバーとしての作業潜水の経験談はもちろん、個人では人手が足りずなかなか前に進まないこと。
ボランティアダイバーを募ってもスキルが伴わず、活動に支障をきたすこと。
そこには広げたくても広げられない現実がありました。
10年近くいるダイビング業界ですが、自分の知っている世界の狭いことにうんと気がつかされます。
図体ばかり大きくて世間知らずの都市型ダイビングインストラクターであるのが恥ずかしいったらない。
作業潜水とレジャーの間くらいの活動、そこには社会的ニーズがあるにも関わらず担い手がいない。
その時代ごとのダイバーの価値を育てるのもダイビングスクールの役目では?なんて思ってしまいました。
そんな事を考えていた2023年、不思議なもので江ノ島はずっとそこにあったのですが、
江ノ島の藻場再生に真剣に向き合っている方々と繋がることが出来ました。
見つからなかったパズルの1ピースを見つけたように江ノ島を再発見したのです。
必要な時にとっておきの舞台が現れるのは、なんだか大きな流れに仕向けられているようにも感じてしまいます。
これがしかも、江ノ島との関わりにおいては次々に起こる事になります。
かくして海業開拓プロジェクトが動き出す事になりました。
